体の言葉:感覚編「痛い」

「痛み」について
私たちの日常から、できれば取り除きたい感覚が「痛い」という感覚ではないでしょうか。
心の苦しみも含め、突き詰めていくと私たちは基本的に日常からいかに「痛みを取り除くか」という生活をしているとも言えます。
でも、私たちはその「痛み」自体について、
どれだけ理解しているでしょうか?
「痛み」は皮膚感覚の代表選手
痛みをもっとも身近に感じ安いのは皮膚だと思いますが、人体の皮膚には大きく4種類の感覚器が備わっていて(詳細は別記事体の言葉:皮膚感覚についてをご覧ください)、この中でもっとも密度が高いのが「痛覚」です。
基本的には密度が高いほどその感覚に敏感だと考えると分かりやすいでしょう。
つまり、人はいわゆる「痛み」にもっとも敏感なのです。
「痛み」は放置すれば人体に害を及ぼす可能性が高いということを疑う方はいないはずです。
強い痛みになるとそれを無視することができないほど、大きな刺激が私たちを襲いますよね。
このことからも、いかに人体が「体を大切にすること」を前提として創られているかが分かります。
「痛み」は体からの危険サイン
人は多少の痛みなら我慢することができます。
しかしそれを放置すると、場合によっては動けないほどの激痛が走りますよね。
「これ以上動かしたらもう限界!!!」という体からの悲鳴が聞こえてくるかのようです。
これはその通りの体の声で、痛みは体からの危険サインを示します。
「患部に異常が発生していますよ!」「これ以上無理したら危険ですよ!!」というような体からのメッセージです。
ただしポイントは、「痛みを消して欲しい」という意味ではないこと。
少しややこしいので、詳しく説明していきます。
痛みを取り除きたいのはあなただけ
「痛い」という状態が続いたら嫌ですよね。
だから、人は痛みを取り除きたいと思います。
ですが、これは私たち人からの目線であって、体の立場からすると「痛み=悲鳴」です。
悲鳴をあげるには原因があります。
この「原因に対する対処」こそが体からのメッセージであり、決して悲鳴自体を塞ぐことではありません。
ただ痛みを消すことの危険性

「痒み(かゆみ)」も痛みの一種
「痛み」を感じるのは文字通り痛覚ですが、実はこの痛覚が感じることのできる感覚として、もう1つ「痒み(かゆみ)」があります。
痛覚を通じて「何か違和感との接触を感じる」と体が判断したものについて、人は「痒み」を感じます。(詳細は体の言葉:感覚編「かゆい」をご覧ください)
誤解が多いのですが、「弱い痛みが痒みである」という認識は誤りです。
ちょっと想像していただきたいのですが、少しだけつねった痛みと耐え難いほどの痒みを比べると、痒みの方がツラいし強烈ですよね。
両者の差は体にとっての認識であり、そのあとの反応です。
「痒み」は排除、「痛み」は治癒
かゆいところって、「ポリポリ・・・」って、
なんだか無性に掻きたくなりますよね。
でも、痛いところを掻いたら、どうでしょう。
怪我したところを掻きむしったら、
傷に塩を塗るように激痛が走りませんか?
このことからも、かゆみと痛みは、別々の意図を持った
体の声ということが分かります。
痒みは無意識的な「異物に対する排除本能」であるのに対し、痛みは「癒し」を求める体からのサインです。
つまり、「痛さ」と「痒さ」は、共に人にとって危険を及ぼす可能性があるものを察知する上で重要な体の言葉であると言うことができます。