「カラダの言葉」と「アタマの言葉」
「カラダ」と「アタマ」の違いを知る
「人の心はどこにあるか?」という問いに対して、「脳」をイメージする方が多いかもしれません。
確かに、人の「気持ち」という一般的な言葉を捉えるとき、言語野をもつ脳が「心である」という考え方は一理あるでしょう。
私たちが内面の気持ちを言語化するのも、脳(アタマ)の中ですよね。
しかし、私たちの頭の中で発せられる言葉でさえも、心が感じている感情をしばしば無視してしまうことがあります。
本心では望んでいないことでも、脳=アタマは望んでいるフリができる、ということです。
この前提に基づき、当サイト「カラダの言葉」では、「心はカラダの領域である」と定義し、体が感じる感覚、そして心が感じる感情を「カラダの言葉」という捉え方をします。
脳=アタマは「良い子」を演じやすい
私たちは、自分の人生を向上させて行くためにしばしば「理想の自分」を想像します。
そして、その理想を目指し自分自身を進歩させて行こうとする人も多いはずです。
この理想を描くことはもっぱら「脳」の役割です。
これ自体は何ら悪いことではありません。
しかし、「より良い自分に早く到達したい」という気持ちが強すぎると、
体や心がその理想像について行っていないにも関わらず、
脳が描く「現在の自分」が等身大の自分よりも先に行ってしまうことがあります。
脳はその強い創造性が故に、
心や体を無視して自分自身の姿を誤認することができるのです。
つまり、体や心の「本音」ではそんな自分をまだ望めていないにも関わらず、
「こういう存在でありたい」と脳だけが望んでいる状況が作り出されてしまうのです。
このようにして、脳が作り出す「顕在意識」と体・心が表現している「潜在意識」が乖離することが起こってしまいます。
アタマの役割は地図、カラダの役割はコンパス
あなたがある結果を望む時、それを旅行に例えることができます。
例えば今あなたが名古屋にいて、東京を目指したいとしましょう。
つまり、
名古屋・・・現在の自分
東京・・・理想の自分
という例えです。
あなたは東京に行きたい訳ですから、当然その道のりが知りたいですね。
そこで、あなたは情報収集をはじめ、自分の地図を作っていきます。
これが、あなたの「脳=アタマ」が行うことです。
しかし、実際に旅を始めたとき、地図だけでは東京に辿り着けないかもしれません。
実際の道と地図がズレている可能性もありますし、場所によっては地図が描けていない地域もあるため、「自分がどこにいるのかが分からなくなる」という危険性が出てくるからです。
これをどうやって確かめたら良いでしょうか?
実際の人生を歩んでいく上では、あなたの現在地から理想の状況までを正確にナビゲートするGoogle Mapは存在しません。
しかし、「コンパス」は存在するのです。
この自分の現在地を指し示すコンパスが、体と心が発する「感覚と感情」という訳です。
地図しか見ずに道を歩く危険性
地図の通りに歩いて行くとしても、情報を100%正確に集められたとは限りません。
ですから、地図だけを見て歩いてしまうと、
「本当は真東に東京が位置するはずなのに、コンパス的にはもっと南に行かなければならない。」
みたいなことが当然起こってきます。
実際に旅をしたことのある方ならわかると思いますが、
基本的には地図は道に迷った時以外、見ないですよね。
むしろ、現在地と目的地の方角を特定したら、
歩きながら見るべきは地図ではなくコンパスではないでしょうか?
こうやって現在地を特定するために、地図だけでなくコンパスも確認するようにすると、実際に東京に到達できる確率は劇的に上がるはずですね。
「カラダの言葉」を無視する本当の意味
しかし、現代社会では私たちは自分たちの本心よりも「ねばならぬ」を優先することが多くないでしょうか?
本心と行動が一致しないとき、人は「ストレス」を感じます。
そしてこの不一致が蓄積することで、現代人は様々な病を患ってしまいます。
ここで本来行うべきは「本心と行動の一致」なのですが、
行動を変えることが難しい社会では、「脳が本心を誤魔化す」というその場しのぎに走ってしまうことがありませんか?
例えば嫌な仕事を行わなければならない時、
最初は「嫌だけどやるしかない」と本心を認識はしていますが、
だんだんと「嫌がっちゃダメだ!大切な仕事なんだから」というように、
自己内対話自体で、自分の心を修正しようとしてしまう・・・
これは先ほどの旅行の例えに照らし合わせると、
コンパスの針を無理やり方角修正する、という恐ろしい事態を意味します。
そんなことを何度も行えば、コンパスは正確な方位を示すことができなくなります。
あなたには、自分の現在地を知る術がなくなってしまうのです。
もっとも騙されにくいのが体
このように、自分の感情を脳で偽ることを繰り返すと、心が感じることを止めるようになります。そうすることで、カラダは自分の中のストレスを本能的に軽減しようとする訳です。
ここまでの適応力をもつ人体のメカニズムは驚嘆に値しますが、
こんなことをしてしまっては、心が感じる機能自体を失ってしまいます。
ただし、体は心以上に潜在意識を反映するため、体には拒否反応が出ます。
その反応はストレス性の蕁麻疹などのような病気だけでなく、体の姿勢などで潜在的な拒絶感を見て取ることもできます。
(体の言葉の読み解きについては詳細解説!カラダ語【超入門】の「体の言葉」を参照ください)
心というコンパスが機能しなくなった場合、より強力に現在地を示す体のコンパスを把握することで、現在地を確認することができます。
ただし、体のコンパスは心ほど繊細に方位を示すことができません。
それは、私たちの意識が心ほど分かりやすく体の意図を理解することができないからです。
やはり感じる心を大切にすることが最も重要であり、
その磁力を保つ秘訣は、「等身大を感じる」ということに他なりません。
「脳の言葉」が悪ではない
ここまで聞くと、脳では考えずに心と体に従ってさえいれば良い、と感じるかもしれませんね。
しかし、心と体のコンパスにも弱点はあるのです。
それは、そのコンパスが感じる磁力の発信源が、自分自身の「価値観(思考パターン)」に依ってしまうという点です。
つまり、あなたの価値観が偏っていると、コンパス自体が指す方位が狂ってしまう可能性があるということです。
これはさながら、コンパスの近くに強力な磁石を置いてしまったせいで方位が狂ってしまう事象によく似ています。
この時には逆に、コンパスではなく地図に頼ったほうが目的地にたどり着きやすそうですね。
地図とコンパスはどちらも上手く用いることで初めて目的地への旅行ができるのと同様に、
私たちは脳と心と体を上手く活用して初めて、理想的な生活を送ることができるようになるのです。